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ホーチミン戦争証跡博物館の所要時間や入場料行き方など!戦争の悲惨さを実感…

ベトナム

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わたしたちがぜひ行きたかった資料館です。

ベトナム戦争で思い出すのは、テレビで見たベトちゃんドクちゃんでした。

 

今回の記事では戦争証跡博物館の入場料金や行き方、

観光に必要な所要時間について書いていきます。

最後にホーチミン観光で絶対に外せない戦争証跡博物館に

実際に行って感じたことを写真とともにご紹介します。

ホーチミン 戦争証跡博物館の値段や所要時間についての詳細

まず戦争証跡博物館(せんそうしょうせきはくぶつかん)の詳細についてです。

戦争証跡博物館への行き方 

中心地から徒歩15分程度

(grabで行くのがおすすめ。わたしたちはgrabで行きました。)

営業時間

午前:7時30~12時00

午後:13時30~17時00

 

注意点!

12時00~13時30分は受付が昼休みで入れません。

入館していれば上記の時間も見られます。

入場料

15,000VND(日本円で75円くらい)

2018年1月1日から40,000VNDに値上げになったようです。

休館日

年中無休(パンフレットにそう書いてありました)

必要な滞在時間は?

ざっと見るだけなら1時間程度。

じっくり見るなら2時間程度。

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戦争証跡博物館に行って見て感じた感想

入り口は二箇所あるようですが

Grabの方がここで降ろしてれました。

 

建物からみて恐らくここが正面玄関のようです。

入場料は2017年末で15,000VND。(今は40,000VND)

入場料を払った受付カウンターで日本語の小さな冊子を20,000VNDで買えます。

 

建物全体!

1975年「アメリカ・傀儡政府犯罪展示館」という名前で設立。

1990年には「侵略戦争犯罪展示館」 1995年に今の名称に変わりました。

この右一番奥にもう一つの入り口がありました。

 

入るとすぐ、実際に戦争で使われた戦闘機、戦車、

砲弾などが左右と右手にずらっと展示してあります。

 

 

 

実際にこの銃の先にいた人が死んでいると思うと

なんとも言えない気持ちになりました。

 

 

 

入った入口の右奥にずら―っと並んでいるので、最初(または後で)見ておくと

中の写真や説明の意味が分かりやすく、より臨場感をもって意味がつかめると思いました。

 

この資料館は、三階からスタートなのでエレベーターで一気に三階へ。

所々にこのような表があるので、ベトナム戦争でどれだけ

大量の爆弾が使われたかなどがわかるようになっています。

 

 

三階はベトナム戦争で死亡した戦場カメラマンによる200点に渡る写真の展示です。

世界11か国、133人の戦場カメラマンが亡くなったそうです。

下の写真の30人もその数に含まれるカメラマンたち。

 

写真の説明は、ベトナム語と英語で書かれています。

アメリカの国益のために戦争を始めたアメリカ。

ただ自由が欲しいため戦わざるをえないベトナム人。

狙撃犯たちを見つけ居場所を吐かせる時に、同じベトナム人を使っています。

 

 

個人的に心に刺さって泣けた写真。

夫が捕まり連れて行かれ、妻が子供と小さい荷物を持って一緒に付いていく、

と言ったけど米兵に追い返されたところ。

 

二階はベトナム戦争中の、米軍と韓国軍による侵略戦争犯罪また兵器についての展示。

武器を持たない農民への虐殺や枯れ葉剤についての展示です。

枯れ葉剤の成分は「ダイオキシン」だったと初めて知りました。

 

資料によると、ベトナム人戦死者約300万人(うち一般人は200万人)

戦勝者約200万人。行方不明者 約30万人。

 

戦場のミサ。カトリック教会でしょうか?

 

 

二人の日本人の戦場カメラマンがいたので(存命者)

説明が日本語で書いてある所もあり助かりました。

 

枯れ葉剤を浴びたら即死するとか、浴びた世代の次の世代やその次の世代まで、

本人は何の影響がないように見えても、

生まれてくる子供が影響を受けると初めて知りました。

 

実はベトナムでは障害者の方をよく見かけるな・・・

と思い始めていたのですが(物乞いをしている)

その理由が戦争によるものもあるのだと分かり、ハッとさせられました。

 

非武装農民の婦女など500人を虐殺した有名な「ソンミ村の大虐殺」や

フォンニィ・フォンニャットの虐殺など

その他の虐殺については、資料館では多く語られていませんでした。

 

子どもたちも学びに来るので

子どものへの刺激を考えてということもあるからかもしれません。

 

帰国してWikipediaで調べると詳しい説明が載せられていました。

後で少しだけ「まとめ」で書こうと思います。

 

一階はベトナムへの世界の支援を紹介。

日本もベトナム戦争に反対していたんですね。資料がけっこうありました!

 

外に出ると拷問に使われた道具や子供が拾いそうなボール型の地雷、

檻などの展示がありました。

 

トラの檻。

近くに写真付きで説明書きがあるのでわかりやすいです。

 

 

裏に階段があったので登る人がいなかったけど、登ってみました。

 

天井から見た檻の様子。

小さな穴からしか中の様子が分からないので

天井から様子を見ていたことを知れました。

 

また檻がずっと並んでいたことも分かりました。

手前の檻以外は実は奥行きあるように見せた絵です!

 

冊子を見ると以前は壁側にもっと多くの種類の拷問の道具や

体験談が書いてあるようでしたが、理由は分かりませんが

既に多くは撤去されているようでした。

最後にあったのはギロチン台。

 

見てるだけで・・・恐しいです。

高さがなくて首は切れなかったそうですが、

やはり首受けは汚れていたように感じました。

まとめ

中や外には小さいですが、記念品やお土産を買える店がありました。

利用していませんが小さなカフェもありました。

 

先ほどWikipediaについて触れましたが

そこで検索して初めて知ったことが沢山ありました。

歴史に興味のある方は検索してみてくださいね。

(博物館よりずっと詳しくグロいですが。)

 

アメリカ人とは別に、30万人の韓国兵がベトナムに派遣されたこと、

米国人より前に、韓国兵が農民の女性をレイプし、ベトナム人を残酷な仕方で殺したこと。

米国兵は最初、犯人を探し、まだ生きている農民を病院に連れていき、

亡くなった人を埋葬し人道的に扱っていました。

 

が、戦争が長引いたので韓国兵に倣い残酷な手段になったこと。

つまり「動くすべてのベトナム人を殺せ」となったと。

 

村では忘れてはならないと韓国兵のしたことを刻んだ記念碑を建てましたが、

韓国からの経済支援を打ち切るという政治的圧力を受け、

農民の抵抗虚しく記念碑に蓋をしたこと、

つまり歴史に文字通り蓋をしたことも書いてあり驚きでした。

 

今でも韓国人とベトナム人の間に生まれた子は

ライダハンと呼ばれかなりの数に達します。

差別に遭いながらも生きておられます。

そして、ベトナムは韓国にお金を払えとか謝罪しろなど言わず、許しています。

 

終戦の1975年なんてそう遠くない最近のこと。

世界の国家間の歪みや、今も続く戦争の負の遺産に

とても考えさせられる旅となりました。

 

歴史に興味がある方もない方も

ホーチミンに行ったときにはぜひ訪ねてみてくださいね。

 

ホーチミン観光のモデルコースやお役立ち情報についてはこちらの記事からどうぞ。

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