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ミャンマーのヤンゴン日本人墓地の行き方や開館時間などの詳細情報!

ミャンマー

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大東亜戦争時代ミャンマー(以前のビルマ)で

たくさんの日本人が亡くなられています。

インパール作戦の時にはおびただしい数の

日本人が犠牲になりました…。

 

日本人墓地があると知ってからというもの歴史好きとしては

ミャンマーで一番行きたい場所になりました。

彼らがどんな気持ちで亡くなったかを思うと

今の自分の命を大切にしようと再認識させられます。

空港から近いので

最終日、空港に向かう前に訪問しました。

 

ヤンゴン日本人墓地(イエイウェイ日本人墓地)は

中心部からは離れた場所にありますが、

ヤンゴンの観光地の中で訪れたい場所の1つですね。

 

この記事ではヤンゴン日本人墓地の以下の情報について書いています。

・ヤンゴン日本人墓地の基本情報。

・ヤンゴン日本人墓地の場所。

・ヤンゴン日本人墓地の行き方。

・ヤンゴン日本人墓地の様子。

※記事の内容は2019年11月現在のものです。

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ヤンゴン日本人墓地(イエイウェイ日本人墓地)の開館時間などの基本情報について

開館時間 : 6:00~18:00

住所 : W5M8+MH ヤンゴン, ミャンマー (ビルマ)

入館料 : 無料

所要時間 : 30分~1時間

トイレ : あり

ヤンゴン日本人墓地の場所について

ヤンゴン日本人墓地の場所ですが、ヤンゴン国際空港の近くにあります。

ヤンゴン日本人墓地の行き方と注意点について

ヤンゴン日本人墓地は郊外にあるので、

・タクシー

・grab

・タクシーのチャーター

いずれかで行くことになります。

 

わたしたちが行ったときは

タクシーをチャーターして訪れている人もおられましたが、

おそらく費用は1番高いと思います。

 

おすすめは安くて行き先の説明が不要なgrabです。

移動時間ですが、スーレーパゴダから1時間程度かかります。

 

わたしたちはインヤー湖の南側からgrabに乗って行きましたが、

運転手さんが途中で道に迷い1時間かかりました。

あとでわかりましたが、日本人墓地に行く1つの道のゲートが

閉じられていて回り道をしたので時間がかかったようでした。

 

タクシーの場合は行き先の説明が難しいですが、

grabで行く場合、運転手さんも目的地までの道がナビで表示されるので

説明する必要がないですし、安心ですね。

 

日本人墓地に行く際の注意点

後述していますが、

grabで帰る場合は近くのゲートまで歩いて行き

そこからgrabを呼ぶことになります。

その場所は流しのタクシーもよく通って声をかけてくるので

値段の交渉をしっかりしてから乗るのもいいかもしれません。

 

ちなみにゲートの場所は下の地図の黄色星印の場所です。

ヤンゴン日本人墓地の道中と中の様子について

タクシーで向かう途中ローカルの生活を

しっかり見ることもでき、面白かったですよ。

 

小川の上に家を建ててる集落もありました。

 

ミャンマーといっても135もの部族があるので

少数民族かな?と思わせる人達もいました。

 

アウミンガラーバスターミナル近くで

運転手が右往左往されていましたが

どうにか…着きました!

 

日本人墓地は分かりにくいところにありますので

まず一発で到着することは難しいです。

十分な時間の余裕を持って訪問されることをお勧めします。

 

墓地の管理人のご家族がくつろいで見守れる中、来園。

墓地の一角に家族で住んでおられます。

入ってすぐ左にトイレがあり安心しました!

向かいは男子トイレも。

想像してたよりはきれいでした。

 

多分ですが管理人さんの奥さんが

記帳(訪問者の名前を書く)を持っておられたので

入口辺りで書くんだと思いますが、帰るときでも大丈夫でした。

(奥から持って来てくださいます。)

 

ノートを見ると一年間の記帳を見ることができますが

ほぼ毎日日本の誰かがこちらに訪問しておられましたね。

観光の時間を削ってまで辺鄙な場所にまで

足を運んでおられることに正直びっくりしました。

 

世界でもこんなに日本人が訪れる日本人墓地はそう多くないのでは?

と思いました。

ノートにはたしか寄付した時の額を記入する欄もあった気がします。

 

正面の通路。

突き当りに大きな慰霊碑があります。

この通路を中心に左右対称に二列ずつお墓が並んでいます。

 

すごく斬新な洗濯物の干し方が見れました(笑)

ロンジーとシャツがいっぱい!

ミャンマーではよくある干し方みたいですね。

 

管理人さんでしょうか?

 

墓地に入ってすぐ右横にこんなお堂があります。

私たちが着くとなぜか外の道路から老人がニコニコして現れ

あまりの笑顔と何か言われましたがわからず(ここ日本人しか来ないから)

警戒して逃げました…。

入口のここだけ普通に参拝して帰られました。

 

右手から周ることにしました。

 

日本最後の騎兵部隊の慰霊碑。

昭和16年8月に編成されその後の歩みが

石碑の後ろに書かれていました。

 

かなり古いお墓でも所々に花が手向けてあり

一体誰が置いていったんだろうと不思議な気持ちになりました。

 

日本の各県からの戦没者慰霊碑がありました。

こちらは福岡県から。

 

薄い板のような石のお墓もありました。

字が読めませんがかなり古いのでしょうか。

 

写真右端の白いものは明治42年に建てられた無縁碑。

 

慰霊碑の後ろに刻まれてる説明を読むと

いろいろと興味深いんですよ。

鳥取県3000人余り、愛媛県、

岡山県5000余柱この国にて散華したと説明がありました。

 

日本政府によって建てられた白亜の記念碑。

日本人が訪問するとすぐ管理人さんのお母さん(おばあさん)は

この記念碑に移動し線香を用意して待っておられます。

 

1951年に大賀博士によって発掘された2000年前の蓮が見事に発芽し

日本からのこの地に持ってこられたそうです。

弥生時代の花ってすごいですね。

 

名前は博士の名前をとって大賀蓮(おおがはす)。

この池に植えてあります。

どうりで蚊が多いわけですね…。

 

池の向こう側にはいろいろ植樹されており

枯れているものもありましたが紙がまだ残っているので

どこの団体が植えておられるのかが分かるようになっていました。

 

その横に霊園ができた由来が説明してありました。

19万人以上の日本人がこの地で亡くなられ

戦死者を残したまま退却していったと。

 

映画「ビルマの竪琴」は亡くなった戦友を置いて帰れないと

この地に残った日本兵の話でしたよね。

なんともいえない気持ちになります。

 

1941年から1945年の大東亜戦争。

日本は本当にこんな遠くにまで来たんですね。

 

中央から左側には記念碑がいくつか林立していました。

 

なんとよく見たら

2019年10月建立の文字が!ん、

ええっ、半月前に建てたばかり!!!

驚くと共に、わざわざここまでおもむいて

どんな気持ちでご遺族は建立されたのだろうと

切ない気持ちになりました。

 

そしてやっと見つけました!

字が隠れているので右の木には少し剪定が必要だと思いますが

「ビルマの竪琴」のモデルになった方のお墓。

 

象の絵がついています。

 

からゆきさんのお墓。

 

出身地、時代、年代からみてからゆきさんと推察できます。

からゆきさんは平均年齢20歳もいかないうちに

亡くなっておられます。

全員のからゆきさんがお墓を建ててもらえたわけではないので

墓があるのは貴重だと思いました。

 

まだ若く幼いのに遠く親から引き離された慣れない異国で

どれだけ悲しく寂しい思いをして日本に帰りたかったことでしょう…。

自分だったらと思うと可愛そうでたまりません。

からゆきさんについてはWikipediaに載せられています。

 

 

その他慰霊碑。

 

 

端には管理人さんの家が。

家の近くには最近ミャンマーで亡くなられた(戦争とは関係のない)

方たちのお墓が多くあるように思いました。

 

ゆっくりじっくり見ることができました。

が、虫除けを塗っててもかなり蚊にやられてしまいました。

 

ここから空港に行くためにgrabを呼ぼうとしましたが……

なぜかGPSが正常に動かなくて現在地が表示されない…(゚д゚lll)

マズイ…飛行機の時間が…。

焦る焦る焦るっ!!

 

ようやく表示されてgrabを呼んだら運転手さんから電話が。やったー!

が、ミャンマー語なので言っていることがわからない…( ̄ロ ̄lll)

仕方ない…最終手段に出ることに。

 

それは……

管理人さんの家族に電話で話してもらうこと。

管理人さんがここの場所を説明してくださったのですが、

ゲートが閉まっているので遠回りになりここにはこれないとのことでした。

 

親切な管理人さんがゲートへの行き方を教えてくださり、

そこを出てからgrabを呼ぶことにしました。

飛行機の出発時間が迫っていたので焦りましたが、

とにかくゲートまで歩いて行くことに。

それがこの道。広いっ!

 

電話してくださったご主人の管理人さんは

日本語が少し話せる方でした。

最後に本当にお世話になったので感謝の気持ちで

管理人さんの奥さんと子供、おばあさんに

お礼に少しお金を渡して帰りました。

 

 

一本道をひたすら歩くこと10分。

両側に水田みたいに水がはってあり青草が生えています。

観光したヤンゴンでは見られなかった

こんな田舎の風景が見られて幸せでした。

 

何を作っておられるかはわかりませんが。

 

ゲートが見えました!

車は侵入できないようですが柵を開ける人がいて

出ることはできそうですね。

 

出ました!

人と自転車とバイクはこの小さな扉から

行き来できました。

 

出るとすぐバスターミナルです。バスが沢山見えますよ。

ここで改めてgrabを呼ぶと渋滞してて到着まで時間がかかることが判明…

困ったなぁと思っていたら通りかかりのタクシーが声をかけてきました。

 

最初は相手にしていませんでしたが行き先を聞かれ

提示された額がgrabより安かったのと

急いでいたのもあって思い切って乗ることにしました。

 

無事に何事もなく着き、飛行機の時間に間に合いました。

ただ車はエアコンなしで、前後の窓は全開でした(笑)

 

ミャンマーはgrabの車も全て例外なく古くボロでした。

古い車には慣れていましたがエアコンなしははじめてでした。

さすが流しのタクシーですね。

こうゆう体験、わりと嫌いじゃないですよ。

まとめ

蚊がとても多いです。

蚊よけスプレー(塗るタイプでもOK)を

しっかり隙間なくされることをお勧めします。

スプレーなら髪にもサッとされるといいかと思います。

私は滞在時間が長かったので

蚊がずっとついて回ってきました。

 

個人的には、

墓地ですが一日本人として行ってよかったと思います。

 

ミャンマーからインドに進行したインパール作戦では、

ほとんどの日本人が戦争でではなく、

極度の飢えとマラリアなど病気で死んでいき

動けなくなった人の白骨化した白い骨が道づたいに並んでいたため

「白骨街道」と呼ばれていたほど。

 

屍はそのまま置き去りにされ長い年月が経ち

収集が困難とのことです。

 

そんなことを読んではいたのですが

実際にミャンマーの地に立ち、刻まれた文字に思いをはせると、

戦争とは命とはなんだろうと考えさせられる場所でした。

ぜひ時間に余裕を持って訪問してくださいね。

 

その他のヤンゴンのおすすめ観光地情報を下の記事でまとめています。

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